マネーコンサルのミタクル

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代表 三田正子のプロフィール


●有限会社ミタクル 代表取締役

  社会保険労務士
  フィナンシャルプランナー(AFP)
  日本臨床心理カウンセリング協会認定臨床心理カウンセラー
  公益社団法人日本心理学会 認定心理士
  第二種証券外務員資格


● 東京都葛飾区生まれ


●学校卒業後公務員となり、主に医療・福祉行政に携わる。
 その後、株式会社コムスンのケアセンター長&人事部管理職
 株式会社イタクの人事部門プロジェクトリーダを経て、
 平成14年7月有限会社ミタクル設立



今まで、こんな道のりを歩いてきました

■公務員の頃(1980年4月〜1996年3月)

仕事の中心は医療保険や老人福祉。
窓口でお年寄りに、繰り返し丁寧に説明し「わかってくれたか?」と思った瞬間
「そうですか。で、○○は?」と聞かれ、話しが振り出しに戻る、という重労働をこなす。
この頃、大学入学・卒業、結婚、出産、子供の登園拒否、新築、会社設立と、
人生のイベントの多くを経験する。


■1度目の会社設立の頃(1993年10月〜1997年3月)

夫と共に、広告デザインの会社を設立。
設立からの数年間を支えてくれた社員が、辞めた。
社員が数名に増え、人件費が会社の経営を圧迫し始めた頃。
「会社も大変だろうから」といって、その社員は辞めていった。
悔しかった。たったひとりの社員さえ、幸せにできない会社。
そして何もできない自分が、情けなかった。
会社は、社員の幸せに、責任を持たなければならない。


■派遣社員の頃(1997年4月〜1998年5月)

社会保険手続き、給与計算などの人事業務。
社員の方たちとも仲良くなり、楽しく仕事をしていたが、
会議のメンバーに入れてもらえない疎外感。
私だってこの会社のために、一所懸命働いているのに。
やっぱり正社員じゃなきゃ、ダメだ。
夫とは離婚。「のたうちまわる」ような苦しい時期だった。


■インターネットシステム販売の頃(1998年6月〜1998年8月)

フルコミッションの営業。TELアポから契約まで。
朝早くから夜遅くまでの仕事で、子供の寝顔しか見られない日が続く。
こんな生活を続けていていいのか?
契約は数本取れたが、3ヶ月でリタイア。


■スーパーバイザーの頃(1998年9月〜2000年3月)

コールセンタースタッフの教育・指導、お客様からのクレーム対応など。
私自身も会社からホスピタリティを学び、それをスタッフに伝える。
「お客様のために」とはどういうことなのか、
自分で考え、判断のできるスタッフ作りに注力した。


■マンモス会社の人事部管理職の頃(2000年4月〜2001年3月)

ケアセンター長として入社。
その後会社は、業務縮小(ケアセンターの廃止)のため1700人のリストラを決行、
希望退職を募る。
私も対象となっていたが、希望退職の書類を提出する前日
「本社で人事をやらないか」と辞令を受け、社会保険業務の責任者として
勤務することになる。社内はリストラの影響で騒然としていた。

毎日、全国の労働基準監督署、ハローワーク、社会保険事務所から
問い合わせの電話、そして社員&元社員からもクレームの電話が入り、
対応に追われる。

自分自身がリストラの対象になったこともあり、
また、辞めていく同僚達を目の当たりにし、
リストラが会社および社員に与える影響をつぶさに見てきた。
人事制度、就業規則・諸規程の整備、法律遵守の重要性を痛感。


■社会保険労務士受験生の頃(2001年4月〜2001年8月)

「成功するには、成功するまで続けること」を座右の銘に、
「あきらめないこと」「やればできる!」を実感。


■人事業務請負プロジェクトリーダーの頃(2001年11月〜2002年7月)

プロジェクトチームのリーダーとして、クライアント先で勤務。
合併の影響で複雑になってしまった退職金制度に驚く。


■そして2002年7月 有限会社ミタクル設立


お金のことだけじゃなく、こんな人生経験が多くの女性のお役に立てればいいなと思います。


  

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